日本大百科全書 18

キーフレーズ

一九 日本 アメリカ 昭和 イギリス 明治 中国 場合 用い 多く フランス ヨーロッパ 農業 第二次世界大戦 研究 ドイツ 一一 世紀 行わ 一六 現在 中心 江戸時代 博物館 時代 江戸 長さ 一つ 利用 発達 インド 地形図 関係 生まれ 一般 分布 一四 られる 組織 東京 運動 アフリカ 人間 生活 その後 人口 世界 発展 イタリア 知ら 発生 生産 地方 意味 必要 する しよう 三年 考え 形成 大正 大学 受け 北海道 変化 方法 人形 資本主義 一八 多い 社会 〇〇 使用 文化 農民 できる 重要 影響 高さ 都市 構造 地域

目次

あみだ : よらいざぞう 、ら阿弥陀来坐像 ( 国指定重要文化財 ) は運慶作哲学的な議論は、二律背反とみえる状況を指摘とはよく混ざる。二硫化炭素は直線形の分子 まさこ 、らで、胎内から北条政子の遺髪が発見された。戦し、ついで、それが見かけ上のものにすぎず、 S-c-S である。蒸気を塩素ガスと熱すると四 こ国時代、北条早雲は韮山を根拠地とし、江戸時本当の論理的矛盾は存在しないことを示す方向塩化炭素が得られる。水と一五〇度 0 以上に熱 に話をもっていく形で進行することが多い。しすると二酸化炭素と硫化水素に分解する。アル 代には韮山代官江川家が伊豆の幕府直轄地を治 コール中で水酸化アルカリと反応してキサント めた。江川邸は国指定重要文化財であり、幕末かし、カントは、「時間に始めがあるか否か」 ひでたっ に江川英龍 ( 太郎左衛門 ) が築造した韮山反射を問うようなときには逃れることのできない一一ゲン酸塩をつくる。 CS2 十 C2H50K —> C2H50CSSK 炉 ( 国指定史跡 ) とともに有名である。人口一律背反に陥るとし、これは、そのような問いに また、硫化アルカリ N'CS とはチオ炭酸塩 万六八九七。 〈川崎文昭〉答えることが人間の知的能力の限界を超えてい しよう るからであるとした。 〈吉田夏彦〉をつくる。硫黄、白リン、ヨウ素、樟 回『韮山町史』二巻 ( 一九七九、含・韮山町 ) えん のう あじろ にりとういせき中国、河南省偃脳、樹脂、ゴム、油脂などのよい溶媒である。 囮二万五千分の一地形図「韮山」「網代」 ニ里頭遺跡 Sürykänt Tripäthi Nirälä師県二里頭村にある遺跡。遺跡の年代は、河南ビスコースレーヨン、四塩化炭素、ゴム加硫促 ( 天九七ー一九六一 ) インドのヒンディー語の詩人。竜山文化から殷前期の紀元前二〇〇〇 ~ 前一三進剤、農薬、浮遊選鉱剤 ( キサントゲン酸塩 ) らくが 成 の製造に用いるほか、溶剤として用いられる。 べンガルのメドニープルに生まれる。文芸雑誌〇〇年ごろにあたる。二里頭遺跡の北は洛河に の ばうざん 雄 を購読してヒンディー語を習得。べーダーンタ臨み、南は五キ。で伊河に達する。北には山有毒で中毒症状をおこすことがある。↓二硫化 すうぎん 〈守永健一〉 哲学やラーマクリシュナ・ミッションの思想にを、南には嵩山を望むことができ、古来、この炭素ガス中毒 ガ レ にりゅうかたんそ 地方には「夏」や「殷」に関する伝承が多い 関心を抱く。また同時代のべンガル文学からも ニ硫化炭素ガス中毒 ちゅうどく二硫化炭素によるガス中毒で、おも 多くを学び、第一次世界大戦後の広範なロマン遺跡は東西約一一・五キ。、南北約一・五キ。の広さ たいせき チシズム文学運動の唱道者となって、詩の韻律で、文化層の堆積は二 ~ 四に達している。遺に呼吸器から吸入されて、脂肪に富む組織、とのである。暖帯から温帯の林縁に生え、日本、 ″い・つ くに中枢神経系に作用し、急性ないし亜急性、朝半島、中国東北部、アムールに分布する。 からの解放を主張した。代表詩集に『芳香』構としては、宮殿址、小型建築址、墓、灰坑 ( 一九一一九 ) 、『歌唱』 ( 一九三六 ) 、『薬指』 ( 一九三 0 など ( 地下貯蔵穴 ) があり、出土遺物には、土器、または慢性の中毒をおこす。二硫化炭素は無色キンボウゲ科は一般に有毒植物が多いが、本種 がある。 〈田中敏雄〉青銅器、玉器の類がある。出土した土器は四期揮発性の液体でクロロホルムのような臭気があは食用となる。 3 しイチリンソウ〈門田裕一〉 る。優れた性質をもっ有機溶剤として、レーヨ にりこういせき中国、河南省鄭に編年され、二里頭文化の標準遺物となってい ニ里岡遺跡 まにゆ、つぐうてい しやく れい しゅう ン製造、ゴム製品の製造、化学工場などで使用ミミ 5 哺乳綱偶蹄目ウシ科の動物。アンテロ 州市二里岡にある殷代の遺跡と戦国時代の墓る。青銅器には、爵、戈、鏃、鈴、鑿、錐など ープの一種。ウマカモシカともいう。インド半 群。二里岡は鄭州市の南東部に存在する東西長があり、中国でもっとも古い青銅遺物として重されている。急性中毒では頭痛やめまいなど、 約一五〇〇、南北幅約六〇〇、高さ五 ~ 一要な意味をもっている。二里頭文化に関して高濃度に吸入すると意識喪失、角膜反射消失、島に分布し、樹木の点在する丘陵地の草原や低 呼吸困難をおこす。意識が回復しても、てんか木林のある平原に生息する。肩高一 〇ほどの土岡である。土岡の西側では殷代文は、これを夏代の文化とする説、殷前期の文化 まひ 化層と竜山文化層が発見され、土岡の東側で戦とする説、二里頭—・Ⅱ期を夏、Ⅲ・Ⅳ期を殷ん、四肢の麻痺などの後遺症を残すことがあ四、体重二七〇キ。ほどに達する。角は雄だけ けんたい にあり、長さ二〇 ~ 三〇拜一。体色は性や年齢に 国時代の古墓が発見されている。発見された殷前期とする説などがある。また一一里頭遺跡を殷る。亜急性中毒では頭痛、倦怠感、いらいら、 とうおう よって異なり、雄の成獣は灰黒色、雌と若い雄 代文化層は二時期に分けられ、「二里岡上層文第一代の湯王が都を置いた「西亳」の地に比定ゅううつ、性欲減退、食欲不振、全身衰弱など 〈飯島武次〉の症状がまず現れ、ついで無表情、妄想、幻覚は黄褐色である。通常、雄は単独、雌と子は四 化」「二里岡下層文化」とよばれ、いずれも殷する説もあるが確かではない。 にりゅうかたんそ carbon disul- などの精神障害の症状がみられる。慢性中毒は ~ 一〇頭の小群で生活し、朝夕に木の葉や果実、 中期の標準資料となっている。殷代遺構にはニ硫化炭素 きゅうかく ・一う お - っ fide 炭素と礎黄の化合物。水分や揮発分を除二〇 ~ 一〇〇の二硫化炭素に数か月以上草などを食べる。嗅覚と視覚が鋭く、敵を発 坑 ( 地下貯蔵穴 ) 、墓、建築址があり、遺物に は、土器、石器、骨角器、青銅器の類がある。 いた木炭と硫黄を八五〇 ~ 九五〇度 O で反応さ暴露したときにおこり、頭痛、倦怠感、胃痛な見すると岩石地でもウマ並みに走る。交尾期は じん また二一二基の戦国墓が発掘され、そのなかのせる。純粋なものは無色、屈折率の高い液体どのほかに、多発性神経炎、腎障害などがみら普通三 ~ 四月で、妊娠期間二四七日前後。一一 たてあなどこうば ~ 一二月に一産一 ~ 二子を産む。子は多くは一一 一八六基が竪穴土壙墓で、残りの一一六基が竪穴 で、一種の香気をもつが、普通、不純物のためれる。なお、労働衛生上の許容濃度は二〇 せんかくぼ E である。 〈重田定義〉子で、寿命は一五年ほどである。〈今泉忠明〉 空心墫槨墓であった。リ 言田葬品には、陶器、青銅黄色に着色し不快臭をもつ。揮発性、きわめて きゅ , つりよ , っ NiIgiri 引火しやすく、点火すれば青色の炎をあげて一一 器、鉄器、玉石器があった。とくに陶器には、 一一リンソウ〔二輪草〕ミミ 0 ミ・ ニルギリ丘陵 ごうそんよう かん 鼎、豆、壺、盤、匝、小壺、盒、尊、甕、罐な酸化炭素と二酸化硫黄などになる。水には溶け斗 Fr. Schm. キンボウゲ科の多年草。地下 Hills インド南部、タミル・ナド州南西部一 かんぎ なしが、アルコール、エーテル、べンゼンなど茎は黄褐色でやや太く、横にはうが長さは五 帯を占める丘陵。西ガーツ山脈の南部にあっ どの器形が存在し、戦国期の韓、魏における副 以下。茎は高さ一五 ~ 三〇一。茎葉は深く三裂て、東ガーツ山脈との結節点に位置する。二〇 葬陶器の標準資料となっている。〈飯島武次〉 は′、はーん した三枚が輪生し、表面には白斑があり、葉柄〇〇前後の標高をもっ突出した高原で、最高 ニ律ョ月反にりつはいはん antinomy Antinorme はない。早春植物の一つで、三 ~ 五月、茎の先点はドダ・べッタ山 ( 一一六三六 ) である。北緯一 antinomie 冖ギリシア 度 に径約一一の白色花を一 ~ 四個上向きに開く。 一度付近にあるにもかかわらず冷涼・湿潤で、 で法律の条文につじつまのあわないところがあ Ⅱ℃定 5 茶、コーヒーなどとともにキャベツなどの高原 花は二個つくことがもっとも多いので、一個っ 2 測〃 るのをさすのに用いられたことばに由来する。素 けるイチリンソウに対してニリンソウの名があ野菜が栽培されている。オータカムンドは保養 一般に、それそれ正しいことが明らかであるよ炭 そうか だえん る。果実は痩果、楕円形で毛がある。子葉は一地として有名。トダ族、コダ族などの先住少数 うな二つの文が、論理的に両立しないことが発硫い量点点重振 式融沸比屈 〈貞方昇〉 見されたときに、「二律背反に陥った」という。 枚にみえるが、これは二枚の子葉が合着したも民族も居住する。 ばん かぞく せいはく のみきり 152

とカルシウムに富む超塩基性岩の成層火山であは球茎から一枚出て、細長い棒状で長さ一〇 ~ に出荷のための促成栽培も行われている。このイとみえる。沖縄諸島ではジレーカネーなどと ようしよう あまみ ほか、株に土を盛ったり、フレーム内で遮光し発音し、漢字では「儀来河内」とも書く。奄美る。標高三四七〇。北隣のニャムラギーラ火一五、径約二 = 、リ。茎は葉鞘に包まれるが、 やえやま て軟化栽培も行われる。品種も増え、近年は在諸島ではネリヤ、宮古列島や八重山列島では一一山などとともに東アフリカ火山帯のビルンガ火葉の下から約三分の一のところから花茎を出 ーラなどともいう。カナイはニライの同義的対山群に属する。有史以後、一八八四 ~ 一九八三し、四 ~ 六月、緑色花を穂状につける。花冠は 来品種より葉幅の広い台湾系の品種が多く栽培 される。また、つばみのついた若い茎を食べる語で、それらが畳語的に複合したのがニライカ年に十数回噴火した。一八九四年、第一回登頂径約三ミリと小さく、目だたない。海岸の砂地に 探検で山頂火口底に溶岩湖が発見され、一九七生え、本州の太平洋岸、四国から沖縄、および ための品種 ( テンダーポールなど ) の栽培も増ナイである。本来、ニライとは、はるかな遠い えている。花茎をとるための品種群をハナニラ所という意味の語で、それが異郷観と結び付七年の大爆発 ( 溶岩流も発生、死者六一人 ) ま中国に分布する。名は、葉がニラを思わせるこ 0 ^ 井上健〉 と一い , っ き、神信仰のなかでは、特殊化して神の世界をで存在した。アルバート国立公園内にあり、ゾとによる。 あ ニラムシ〔韮虫〕昆虫綱甲虫目ハンミョ さすようになった。今日でも、神信仰と無関係ウやマウンテンゴリラの生息地。〈諏訪彰〉 〔利用〕鮮緑色の葉を、酢みそ和え、卵とじ、 たてあな 燒め煮、各種の鍋物、雑炊などに用いる。中華な日常的用例の残っている村もある。沖縄諸島韮崎 ( 市 ) にらさき山梨県北西部、甲府盆地ウ科の昆虫の幼虫の俗称。地面に縦孔を掘り、 かまなし これに隠れて獲物を待つが、ニラの葉を孔に入 料理では多くの料理に用いられるが、ギョウザでは、東方 ( 南東よりやや東寄り ) に神の世界の北西端にある市。釜無川と八ヶ岳方面から流 があるという信仰と結び付き、ニライカナイもれる塩川の合流点付近にある。一九五四年 ( 昭れてやると、これに食いついて引き上げられる には不可欠とされ、レバーニラ炒めなどが好ま あなやままる ちわんく れる。いわゆるニラの刺激臭は、含硫化合物を東方の海上になっていることが多い。知念村久和二九 ) 韮崎町と坂、藤井、中田、穴山、円のでこの名がある。↓ハンミョウ〈中根猛彦〉 のせいてつ いしきどまり だか 、ににらみ合って、笑い出 主とする成分によるもので、肉類のにおい消し高島の南東海岸の伊敷泊には、東方を拝む拝野、清哲、神山、旭、大草、竜岡村の一町一〇にらめつこ互し まっかさ ふたおまえ おおめし 所二御前があり、ギライ大主、カナイ真司とよ村が合併して市制施行。中央本線、中央自動車したほうを負けとする遊び。にらみくらともい に適している。養分は、生葉一〇〇中タンパ 昔は「目くらべ」とよんだ。今日のように 道、国道二〇号、五二号、一四一号が通じる。 ク質二等、糖質二 ・八、カルシウム五〇ミリグばれている。大主、真司は主神という意味で、 しんぶ しゆり かつより ニライカナイの主神のことである。首里王府の戦国時代は武田勝頼の居城新府城があり、江戸遊戯としてばかりではなく、一種の真剣な勝負 ラム、カリウム四五〇ミリグラムなどで、ビタミ きよもり すんしん こんこうけんしゅう の手段でもあった。『平家物語』の、清盛入道 ン < 、 O がきわめて多く、、なども多く含用語辞典『混効験集』 (一七 (l) には、「にるや時代は信州往還、佐久往還、駿信往還の分岐点 どくろ み、昔から強壮に効があるとされる。種子は漢かなやの大神」が「あがるいの大ぬし」 ( 東方として栄え、韮崎宿があった。また富士川水運が多くの髑髏と目くらべをして勝った話は有名 キウシ 方で韮子とよび、泌尿器系の病気に用いられの大主 ) である、とある。『おもろさうし』での拠点であり、信州に送られる塩や海産物、県である。この場合、勝っことを「目勝ち」とよ る。 北や信州からの米などに集まる物資の中んだ。遊びとしては、二人ないし数人で目を見 〈星川清親〉は「あがるいの大ぬし」は太陽の神で、沖縄諸 島では、太陽の昇る方角に、太陽の神を主神と継基地でもあった。一九〇四年 ( 明治三七 ) 中据えてにらみ合っていて、先に笑い出したほう 〔文化史〕中国では三〇〇〇年の歴史がある。 周族の居住であった幽の祭事には、ヒッジととする神の世界、一一ライカナイを想定していた。央本線が開通して宿駅、河港としての機能は衰が負けとなる。東京付近ではこの遊びに入る前 きたこま に「だるまさんだるまさんにらめつこしまし 水平線のかなたの世界で、竜宮と訳されることえたが、北巨摩地方の交通、商業の中心地とし もにニラが供えられた。一一ラは本来、韭と書か よ笑うとぬかすよあつぶつぶ」と唱えてか も多い。火や稲もニライカナイから将来されたて今日に及んでいる。合併した旧村はいすれも れ、呉音でク、漢音でキョウ、現代中国音では しん らにらみ合いに入る。参加者の大ぜいのとき チョウと発音されるが、いすれも久と同音であとする伝えもある。一一ライカナイの神が琉球神農村であるが、塩川流域の藤井・中田地区は肥 とう る。ニラは多年生の野菜で、それが「久しい」 道の主神で、古くはキンマムン ( 君真物 ) とよ沃な米麦産地、台地上の穂坂・穴山地区は養蚕は、笑った者から抜けていき、最後に残った者 ま・、つドレ、当っ 〈高野修〉 が勝ちとなる。 と結び付いた。中国では古代から主要な野菜ばれ、本地仏は弁才天であるとされた。豐穣と果樹、釜無川南岸の円野・清哲・神山・旭・ た で、『史記』 ( 前九一 ) の貨殖列伝に「千畦薑韭。 がニライカナイからもたらされるという信仰も大草・竜岡地区は江戸時代開削された用水路「徳韮山 ( 町 ) にらやま ( ちょう ) 静岡県東部、田 せんのあぜ 此其人皆與千戸侯等」 ( 千畦のショウガとニラあり、八重山列島の竹富島では、旧暦八月八日島堰」により開田された米作・養蚕地帯であ方郡にある町。伊豆半島北部、田方平野中央部 に位置する農業と史跡観光の町。一九六二年 に、ユーンカイ ( 世迎え ) といって、西海岸のる。しかし、経営面積は比較的小さく、今日で は千戸の領主〈の収入〉と等しい ) の記述があ がんたん ニーラン石の所で、ニーランの国から船に五穀は兼業農家が大部分である。周辺には観光地が ( 昭和三七 ) 町制施行。伊豆箱根鉄道が通じ、 る。かって中国では元旦に五辛 ( ニラ、大小の ちちぶたま ニンニク、アプラナ、コエンドロ ) を食べ、体豊穣を積んでくるニーランの神を迎える神事が多く、南アルプスおよび秩父多摩国立公園の玄町域に原木、韮山、伊豆長岡の三駅があり、国 ーつ」わ・つ 関口になっており、南アルプスの凰三山、甲道一三六号が通じる。東部は箱根山から南下す 内の病魔を払い、長命を願う風習があったある。 ますとみ きんぶ る多賀火山地域の丘陵、台地で、町域の六〇 % ニライカナイの対語にオポッカグラがある。斐駒ヶ岳への登山、金峰山、増富温泉へはここ ( 『楚歳時記』〈六世紀〉 ) 。邪気を退散させる かの とみられたのは、ニラの臭気にもよる。それは奄美諸島や沖縄諸島では、ニライから迎えた神を経由する。市域にもレンゲッツジとスズランを占める。西部は狩野川が形成する田方平野 やよい ひょく あまり ごぎいし あな 揮発性の含硫化合物のメチルジスルフィドが主を祀る聖地をオポッ山と称している。現実の神の名所である甘利山、御座石・青木の温泉、窟で、肥沃な水田地帯。弥生時代以来稲作が行わ かみら 成分である。『古事記』には加美良、『日本書の世界がオポッカグラであろう。ニライのニは観音などがある。サッカーの盛んなことでは全れてきた。農業は米作、イチゴ栽培をはじめト かき かみら 日本の上代語の「根の国」の「根」に相当する国的に有名。国史跡に新府城跡、また国重要文マト、花卉などの施設園芸が盛ん。イチゴのビ 紀』には計美良と綴られるが、これらは香ミラ あみだ がんじよう はちまん ニルハウス栽培は質・量ともに優れ、観光イチ 化財に武田八幡神社本殿、願成寺の阿弥陀三 の意味で、臭いに注目した名である。「万葉集』といわれる。根の国も遠い別世界をさす語で、 くくみら には久君美良が一首 ( 巻一四 ) 歌われ、茎ニラ用法も共通している。ニライカナイと同義と思尊仏がある。人口二万八一七五。〈横田忠夫〉ゴ狩りが定着している。酪農、養豚も行う。東 部には富士見パークウェーが伊豆スカイライン 〈湯浅浩史〉われるニーラスクや『おもろさうし』のニルャ回『韮崎市誌』全四巻 ( 一九大・韮崎市 ) と解釈されている。 わかみこ ぜんこくさんをようふつこうほう ソコは、上代語の「根国底国」を思わせる語形二万五千分の一地形図「甲府北部」「若神子」と結び、奥伊豆への入口となっている。弥生時 Z ニラ 0 全国産業復興法 やま げた りゅうきゅう 代の水田跡から田舟、田下駄などが出土した山 〈小島瓔禮〉 「韮崎」「鳳凰山」 まニライカナイ琉球諸島で伝える海のかである。 よりとも なたにある神の世界。『おもろさうし』 ( 一五三一 ~ ニーラゴンゴ火山ーーかざん Nyiragon- ニ一フバラン「韮葉蘭〕ミき、ミ。・木遺跡、源頼朝が配流され、源氏再興の旗揚げ がんじようじゅ ひる ・一じまほうじようときま ) たいちゅう へんさん にゆかりの蛭ケ小島、北条時政創建の願成就 、ら一六 = 三編纂 ) にはニルャカナヤとあり、僧袋中 go アフリカ中部、ザイール東端にある活火 schltr. ラン科の多年草。地下に球茎が しんとうき あり、毎年新しい球茎を形成して更新する。葉完 ( 国指定史跡 ) など史跡に富む。願成就院の の『琉球神道記』 ( 一六 0 三 ~ 0 六 ) にはギライカナ山。キプ湖の北約二〇キ。に位置する。アルカリ なべもの ひん まっ きみまもの ぜき あさひ ひ 151

あっ おわり によらいきよう尾張国 ( 愛知県 ) 熱回高崎直道著『如来蔵思想の形成』 ( 一九七四・春 ん論、働く女性たちの現状を取材・報告した投稿如来教 しっそんによらい 天一一六 ) が開 秋社 ) に特色がある。三度目の発禁後、資金の行き詰田の農村婦人一尊如来きの ( 一七五六ー によらいそうきよう仏教経典。サ まりから廃刊。全四八冊の復刻版 ( 一一・不二 いた宗教。如来を全知全能の創造主、慈悲の神如来蔵経 よ しやか ンスクリット語でタターガタガルバ・スートラ こ出版 ) がある。なお、一九二三年 ( 大正一二 ) とする。すでに釈迦が説いた教えは全真理の六 しゅ やちょ 七、八月、時雨と岡田八千代により『女人芸分で、残りの四分の教えを説くとし、如来は末 Tathägatagarbhasütra という。すべての衆 じようばんのう こんびら 術』が二号出されている。 〈尾形明子〉法のすべての人間を救済するために金毘羅を使生が煩悩にまとわれているにもかかわらす、 回尾形明子著『女人芸術の世界』 ( 一 0 ・ドメ者として、きのに遣わしたという。あらゆる人「如来蔵」すなわち如来たるべき本性 ( Ⅱ仏性 ) れんげうてな 間を悪の種とする独自の原罪説にたち、人間はを内に宿しているということを、①蓮華の台に ~ ・ ス出版 ) ▽同著『女人芸術の人びと』 ( 一九 あんぎ みつばち 全・ドメス出版 ) ▽紅野敏郎解説『「女人如来の慈悲にすがってのみ救われるとし、如来安坐する如来、②蜜蜂に囲まれた蜜、③外皮に まっ挈ごっ 芸術」解説・総目次・索引』 ( 一九〈一・龍渓書の前では人間はすべて平等であると説いて、下包まれた穀物、④汚物中の金、⑤地中の宝蔵、 舎 ) 積みの民衆の救済を求め続けた。如来教は幕末⑥種子から生ずる大樹、⑦ばろにくるんだ仏 むろうじ しんとう によにんこうや 0 室生寺 に尾張藩の禁圧を受け、国家神道体制下では曹像、⑧王子を懐胎する貧女、⑨泥模中の鋳像と 女人高野 とう ひゅ によにんじようぶつ女性も男性と洞宗に属して、仏教化した。この一世紀半近い いう九種の譬喩によって説く小部の大乗経典。な「帝国」の中心だったという伝承もある。 女人成仏 まとけ いわゆる如来蔵思想を最初に提唱した経典とし 外婚的な父系の氏族が存在するが、氏族は散 同様に悟りを開き、広 ( 覚者 ) になることがで受難のもとで、如来教は閉鎖的な小教団とな きるということ。古来インドでは女性の地位をり、教典「お経様」は教内ですら厳重に秘匿さて重要。三世紀ごろの成立で、漢訳二種とチベ在していて、実際の村の生活では、首長の配下 ット訳が現存する。↓如来蔵 〈高崎直道〉 低くみており、釈尊も初めは女性が僧団に入るれ、近年まで幻の教典となっていた。本部は愛 にあることと近隣関係が重要である。カトリッ ばんてんたいしやく ことに反対した。また女性には梵天、帝釈、知県名古屋市熱田区旗屋にあり、青大悲寺を本回高崎直道著『如来蔵思想の形成』 ( 一九七四・春クおよびプロテスタントの教会が現在の宗教と てんりんおう 魔王、転輪王、仏の五種にはなれない五つの障山とする。寺院六八、教師六五人、信者三万三 秋社 ) ▽同訳『如来蔵系経典』 ( 『大乗仏典教育に大きな影響を与えている。〈中林伸浩〉 〈村上重良〉 』一九七五・中央公論社 ) 害があるとされていた。しかし、大乗仏教では 一一〇四人 ( 『宗教年鑑』一九会 ) 。 2 ・ 4 ージクロロフェノキシ酢酸 しゅじよう すべての衆生が仏になるという理念から、女回村上重良校注『お経様ーー民衆宗教の聖典・ によんー丨・さくさん 2,4—dichlorophenoxyacetic ニョルド Njörör 北欧神話の神で、フレ ほうじよう 性も男性に身を変えて成仏すると説いた。これ 如来教』 ( 平凡社・東洋文庫 ) イヤとフレイの父。豊饒と航海の神とされ、 acid 2 ・ 4 -Q と略記する。合成オーキシンの へんじようなんし むりようじゅ によらいそうサンスクリット五ロタタ 初めバニル神族に属したが、 人質としてアサ神一種で、強いオーキシン作用を示し、除草剤と を「変成男子」という。たとえば『無量寿如来蔵 きよう あみだ がん じようど しゅ ーガタガルバ tathägatagarbha の漢訳。衆族のもとにきた。ニョルドが女巨人スカジと結 経』の阿弥陀仏第三五願には、女性も浄土に しても利用される。 2 ・ 4 ーは選択的除草効果 じよう おうじよう ほけきよう 往生して男性の身になるとあり、『法華経』「 生に本来備わっている仏 ( 如来 ) と同じ本性婚する話は、スノッリによると女神イドウンのがあるため、とくにわが国では、水稲本田の広 りゅうおう もんじゅばさっ ぶっしよう は竜王の娘が文殊菩薩の導きによって男となをいう。「仏」と同じ。元来『如来蔵経』に リンゴと関係がある。巨人シャツイからイドウ葉雑草の除去のために広く使われている。芝生 ばんのう 〈松本史朗〉おいて、すべての衆生に、煩脳にまとわれてい 〈勝見允行〉 り成仏したと説かれている。 ンを取り戻した神々が巨人を焼き殺すと、その の雑草防除にも用いられる。 しやか みよ、つ によらい釈迦の異名 ( これを「名るにかかわらず、如来の智慧が行き渡っている娘スカジが復讐のためアースガルズにやって 2 ・ 4 —= によんディー 0 2 ・ 4 ージクロロフ 如来 ひゅ くる。神々はその賠償として、自分たちのなか 号」と称する ) の一つ。サンスクリット語、。ハ ことを比喩して、衆生を「その胎に如来を宿す エノキシ酢酸 ーリ語のタターガタ tathägata の訳。原語は もの」とよんだのに始まる。原語は「如来のから足だけを見せて夫を選ばせる。するとスカ ニ一フ〔韮〕ゝミミき be きミ ROttl. まうしようろん ジは、バルドルの足と思ってニョルドを選ぶ。 「修行完成者」「完全な人格者」を意味し、初め胎、あるいは胎児」を意味するが、『宝性論』 ュリ科の多年草。葉を食用とするため栽培され ほっしん はバラモン教以外の出家者一般のうち、とくに は、この合成語の解釈によって、①如来の法身しかし、山の女巨人は海の神ニョルドとは結局る。中国西部原産といわれるが、明らかではな しん へんまん りんけい 優れた人への尊称として広く用いられたが、のが衆生に遍満する、②衆生は如来と同じく、真むつまじく暮らせず、山に帰る。〈谷口幸男〉 地中に短い根茎があり、多数の鱗茎をつく ちには仏教だけが用いるようになった。 tathä 如を本性とする、③衆生は将来、如来たるべき って株状になる。葉は各鱗茎に数枚つき、長さ ニョロ族ーーそく Nyoro アフリカ、ウ しゅしよう へんべい 。バニョロ 一五 ~ 二〇、幅三 ~ 一〇ミリ、扁平で背面に ( 「如」と訳され、真理・ありのままを表す ) 因 ( 如来の種姓 ) を有している、の三義をたガンダ西部のバントウー系諸族の一 とägata ( 「来る」の意のアガムägam のてた。また『仏性論』では漢訳の「蔵」の意味族、プニョロ族ともいう。人口一二万七〇〇〇稜があり、先端は丸い。濃緑色で柔らかく、 つかま よっしよう しよしょっそう 過去完了 ) の合成と解して「Ⅱ来」と訳された に応じて、①所摂蔵 ( 衆生が如来に摂せられ ( 一九五九 ) 。生業はヒ工、トウモロコシ、キャッサ特有のにおいがある。葉鞘は三 ~ 六拜一。夏、 おんぶくぞう が、 tathäと gata ( 「行く」意のガム gam る ) 、②隠伏蔵 ( 如来Ⅱ真如が衆生のうちに隠 、サツマイモなどの農耕を主とする。かって四〇 ~ 七〇拜一の茎を出し、茎頂に白色花を二〇 の・つしようぞう の過去完了 ) の合成とも解さ、その際にはれている ) 、③能摂蔵 ( 衆生が如来〈の種〉をは牛を多く飼っていたが、戦争と病気のために ~ 四〇個開く。花は小さく六枚の花被片からな : よきょ じしよう 「去」の訳となる ( チベット訳はこのほうを宿す ) 、の三義をあげる。如来蔵はもと「自性著しく減少し、いまはヤギ、ヒッジが主である。秋に結実し、種子は黒色、ゴマ粒大である。 しようじようしんきやくじんばんのうぜん みしよう る。 とっている ) 。釈迦の異名は数多くあり、その清浄心・客塵煩悩染」 ( 心は本来清浄だが、 栽培は株分けまたは実生による。寒さにも暑 うちとくに「十号」 ( 一〇の名号 ) がよく知ら一時的な煩悩の付着によって汚れている ) の説 伝統的にムカマとよばれる王によって治めら さにも強く、盛んに株分かれして殖える。霜に れているが、そのなかでもこの「真如から来てから展開した思想で、『如来蔵経』に始まり、れていたが、一九六七年、ウガンダ共和国の中あうと地上部は衰えるが、地下部は越冬する。 しゅじよう ふぞうふげん しようまんぎようねはんぎよう 衆生を導く」意の「如来」は、もっとも尊ば『不増不減経』『勝鬘経』『涅槃経』などに受央集権化とともに王制は廃止された。そのとき葉は地際から鎌で刈り取って収穫する。再生カ れ親しまれた。のちに大乗仏教がおこり諸仏が け継がれて発展し、『宝性論』によって学説との王は、一八代続いたと思われるビト王朝に属が強いので、年に二、三回収穫できる。最近は ほけきよう たてられると、そのなかに、薬師如来や大日如 して組織化された。中国・日本では『法華経』した。伝承によれば、それ以前にチュエジ王中国料理の普及により需要が増え、冬はビニル 来のように、如来名をとるものも現れる。↓釈の一乗思想とあわせて、おおかたの仏教諸派の朝、さらにその前にテンプジ王朝があった。ニトンネルをかけたり、株を掘り出してビニルハ 迦 〈三枝充悳〉基本説となっている。 〈高崎直道〉 ョロ族の王国は、かってキタラとよばれる広大ウス内に移植し、冬季にも収穫する。また早春 そう りよう き ~ く一ん かひ ニラ花 150